フルマニュアルカメラの時代、カメラマンの技術は重要だった。
逆に知識はそれほど必要はなかった。露出の基礎さえわかってればよかった。
必要なのは撮影技術と、修理技能だった。
これは自動車もそうである。
戦前、自動車乗りは自分で修繕できるスキルが必要だったし、機差の違いも大きく、パワステなどなく、運転スキルも大事だった。
だから「運転手」というのは技術職で、高給取りであった。運転は特殊技能だったのである。
いま「運転」を特殊技能と思っている人はいない。
自動運転機能は年々充実してきており、ますますそうなるだろう。
カメラも同じだ。
素人と玄人の差はもはや「機材の差」でしかない。
フイルム時代は寧ろ機材の差は少なかった。
プロ機が特段機能に優れていたわけではなく、プロ機に求められていたのはタフネスさであった。
そもそも、マウントが同じなら、同じレンズと同じフイルムを使えば結果は同じなのだ(富士フイルムは現在もそれに近く、X-AシリーズとT三桁機以外は、世代が同じならエントリーからハイエンドまでセンサーと画像エンジンが同じなので、同じ写真が撮れる。エントリとハイの違いは、対候性やダイヤルの多さでしかない)。
素人と玄人で技術差はない。そもそも必要がない。
こうなってくると、センスになる。
今の世の中、なんでもそうである。
センスのある人間こそプロだ! まあ、昔から一要素だったのは間違いけども。比重が全然違ってくる。
あらゆるものが便利になったとき、最後に残るのはセンスだ。音楽もそうだろう。
いまじゃあボカロもあるので、Voさえ自前で用意でき、DTMなら楽器も録音機材もいらず、だからといって、むかしのシンセのように生音と明らかな違いがあるわけでもない。
プロも多くがDTMなんだから。
かつて、プロというのはセンスもちろんだが、「技能」で素人を圧倒していた。
フルマニュアル機でスポーツ撮影なんて、素人には無理だ。今なら幼稚園児でもできなくはない。