2000年前半のカメラ関係の記事を見ていると面白い。
このころは「raw不要論」というのがプロやカメオタ(ハイアマ)の間で優勢だったようだ。
今から見れば ハァ? である。
なぜ当時はこの考えが優勢だったのか。
理由は、
1.フイルムカメラが現役だったこと
2.高性能なパソコンは高価だったこと
3.カメラのストレージが小さかったこと
このみっつだと思われる。
デジカメでWBを議論するようなことが多かったようだが、rawファイルなら何の議論にもならないはずで、しかし、プロが議論していたようなのだ。つまり、フイルムの理屈なのだ。
フイルムの現像は白黒はまだしも、カラー現像はおよそ普通の人間にはできなかった。だからプロとはいえ、現像は他人に任せざるを得なかった(指定はできたが)。
自分で現像するということができなかった。だからrawという現像可能なファイル形式に意味を見出せなかったのだ。
ついで、今ならその辺に売っているノートパソコンでも余裕で現像できるが、当時はかなりいいパソコンでないと無謀だった。動画のエンコードも、今なら数分で終わるような処理が一日がかりだったという。
そして、rawやttfファイルは容量を食うが、jpgなら食わない。これは大事だった。
2000年当時のCFカードの最高容量は512MBだが、正直めっちゃ高かったと思う。
だって、当時私が使っていたパソコンのHDDが確か32GBだったからだ。HDDでこれだぞ?
なので、普通の人はもっと小さい32MBとか64MBのCFを使っていたと思うが、んなもんフイルムカメラくらいしか枚数が撮影できない。rawなんか撮影したら数枚しか記録できない。
このため、raw不要論がもりあがっていたのだろう。
そして、当時はカメラ雑誌を見ても、まだ過渡期でフイルム信者たちが跋扈しているのだ。
まあ、10年後どうなったかは知っての通りだが。
また10年前にミラーレス不要論を言っていたやつも、今はどうなっているかもお察しである。
そもそも、20世紀後半の早い段階でビデオカメラは電子化されていて、α-7000にはCCDが搭載されている(AF用のセンサとして)のだから、聡明な人間というか、道理を理解できる人間なら、スチルカメラも電子化するのはわかりきっていたはずだ。
一眼レフの消滅だって、そもそも一眼レフ以前はブラックアウトするカメラは主流ではなく、ミラーが必要悪であること、高画素化すればミラーショックが耐え難いほどの影響を及ぼすのは明白であることはわかりきっていたはずだ。
なので、1はデジカメが主流になるのはビデオカメラの文脈と歴史から明らかだったし、2の家電が安くなっていくのは法則だし、3についてもストレージの歴史上容量は増大し続けるのは明白。
過去記事を読むとこういったところが面白い。