カメオタには使わなきゃいいだけなのにその機能がついているだけで烈火のごとくたたく連中がいる。
AFがついているだけでカメラが家電になったと言い、動画機能がついているだけでビデオカメラになったとのたまう。
EOSは例外としても、AもKもFも別にAFカメラになってもMFは今まで通り使えたろう???
Aは結局ミノルタ時代は最後までAFカプラーの連結を断てば、ただの機械式MFレンズになったはず(SONYからでたレンズもカプラーこそないが電源OFFでもピントが動くので機械式フォーカス機構を有している)だ。
Kも最近までそうだった。
KやFならわりと最近まで絞りリングだってついてたろ???
マシン部が消え去ったEOSに文句をいうのはわかるがね・・・。
動画機能だって、ミラーレスはEVFがあるんだから動画機能削除なんか原理的にできねえんだよ。
ソフトウェアのUI上でできなくしてもいいが、ハードウェア処理としては存在するし、バックグランドではちゃんとソフトウェアでも処理されているものを、あえてUI上非表示にする意味がない(Leicaは動画機能削除で喝采を浴びたが、ビゾフレックスがつくなら、あんなのはパフォーマンスでしかない)。
撮像データをデータストリーミングで扱わないといけないわけ。
そのくせ、メカシャッターレスでビデオカメラ化したZ9を称賛するんだからよくわからんね。
こういうの、ピアノの話を思い出すよ。
ピアノってのは現代でこそ楽器の王様で、電子ピアノを馬鹿にするやつがいっぱいいるけど、いいか?
ピアノが誕生した数百年前の人間にとって、ピアノは電子ピアノだったんだよ。
どういう意味かって?
当時、楽器というのは完全に人力で演奏するものだったんだよ。バイオリンとかシンバルとかね。みんなそう。
機械で弦を動かすピアノは、まさに「機械に音楽などできない!」と大批判だった。
現代人が電子ピアノに感じる感情を当時の人間たちはピアノに抱いたのだ。
カメラだってそうだろう。
ライカのカメラなんて、今でこそクラシックだが、当時、大判中判カメラで何十年もカメラマンをしてきた写真屋からみて、まさに機械仕掛け、フイルムカメラ好きがデジカメをさげすむような態度だったに違いないことは容易に想像がつく。
早晩デジタル一眼レフもクラシックになるだろうよ。