オリンパスのフォーサーズ思想(デジタルに最適なのはより小さいサイズのセンサー)は、写真の歴史を考えれば正統な考え方だったが、どういうわけかカメオタには受け入れられず、豆センサーと呼ばれ蔑まれている。
不思議だ。カメラが好きならMFTを選ぶしかないはずなのに。
彼らはカメラ=35mmだと思っている。
しかし、悲しいかな。それは違う。
写真の歴史的な事実は、写真の撮像部は一貫して小さくなってきた、という事実だ。
そもそも、35mmは現在、フルサイズとか呼ばれて「最高」であるかのように喧伝されている。
しかし、実際のところ、35mmは当時基準で「軽量コンパクト」であるために人気を博したのだ。
35mm発祥の地ドイツではフルフレームではなく、kleinbildというが、フルサイズどころか「小さな画像」という意味なのだ。
ライツ社が35mmを採用するまえ、カメラで一般的だったのは現在中判と呼ばれているブローニー判だった。
しかし、ブローニー判は大きく、取り回しが悪かった。
連射もできない。
そこで、ライツ社は映画に使われ、一般的だった35mmを採用する(「ビデオ」からの流用というのが、これまた皮肉だし、カメラは最終的には35mmに行き着くとか言うカメオタも多いが、35mmというサイズには「コスト」以外の意味はないのだ。写真(スチル)的な由来も意味も合理性もなにもない)。
だが、そもままでは現像したときに写真が小さすぎて話にならない(35mmは当時、豆フォーマットだったのだ!)。
そう、当時はフイルムからの引き延ばし現像は一般的ではなかったのだ。
引き延ばしができない以上、そのまま現像してしまうと本当に豆すぎる。チェキよりも小さい。
そこで、ライツは引き延ばし機を抱き合わせることで35mmの欠点を取り除き、ブローニー判よりも小さく取り回しがよく、カメラ本体も小さくできるということで人気を博した。
ここは重要な点だ。
カメオタはライカといえば、革新的なバルナック! 素晴らしいレンズ! と言い出すが、ライカの革新性は「引き延ばし機の実用化」である。
なぜかこのことに触れている書物や資料が異様に乏しいのはなぜだろう??
また、ライカ以前もそうだ。
カメラがこの世にあらわれたときに一般的だったのは、いまでは大判と呼ばれているそれだった。
だが、あまりにも大きく、不便だった。
やがて、乾式フイルムが発明され、フイルムの性能があがっていくにつれ、大判は廃れ、中判が優勢となった。
同じフイルム性能なら、大判のほうが絶対良いはずだが、ほとんどだれも大判にはとどまらなかった。
大判の歴史はここで事実上終わったので、今も大判カメラはライカ以前の姿をしているのだが、今もライカのレンジファインダーが同じ形をしているのは終わったデバイスだからだろう。
だから、オリンパスの考えでは撮像素子の性能が向上することで、大判→中判→35mmとなってきたように、さらに撮像面のサイズは小さくなるはずだと踏んだのだ。
ムーアの法則ではないが、100年の歴史がそうであったのだ。
経験から導かれる法則があるように見えた!
実際問題、デジタル化の最初のころ、デジイチではそのような考え方をニコンも支持していた。
APS-Cサイズがよいとニコンは考えていた。ペンタックスも同様だ。いまも富士フイルムはそう考えている。
一方、35mmに執着していたのはキヤノンとコンタックスだった。
オリンパスの考え方は間違っているようには見えなかったし、いまでもそうだ。
なぜなら、乾式の発明や引き延ばし機の普及などのように、技術革新が進み、センサー性能は向上の一途をたどっているからだ。
引き延ばし用レンズの性能向上によって35ミリが普及した構図は今も続いているのだ。
センサー性能は日進月歩であるため、2010年発売のフルサイズと2019年発売のAPS-Cでは後者のほうが高感度に優れ、ノイズも少ないため、わざわざ10年まえのフルサイズを買う意味はない(フルサイズという言葉に惑わされる以外には)。
しかし、オリンパスと富士フイルム以外は転向してしまった(協賛企業なのだし、私は富士フイルムはMFT陣営で戦ってほしかった)。
いつまでも機械式MFのOMをしつこく生産していたことからもわかるように、オリンパスはどうも一度決めた思想に忠実だ。
だからこそ、フォーサーズを切り、MFTに簡単にかじを切ったといえる。小型化と広角レンズの開発に一眼レフのフォーサーズは問題があった。
しかし、センサーサイズは継続された。それが根本思想だからだ。この教義の変更は許されない。
さて、撮像面のサイズが変わるときとカメラのスタイルの変動とは、ある程度、連動している。
大判が中判になったとき、いわゆる二眼レフが現れた。
中判が35mmになったとき、レンジファインダーが出現した。なら、ミラーレスはフォーサーズを支持するのではないか?
では、なぜフルサイズが優勢になってしまったのか。
これは一言で言える。キヤノンのせいだ。キヤノンのマーケティングのせいで、各社追従を余儀なくされた。
Pentaxなんて、APS-Cレンズばかり出していたのに、いまさらフルサイズ参戦か? という酷いありさまだった。
ちなみに、重要なことだが、35mmフイルム時代と同じスタイルを維持するとなるとMFTかAPS-Cになる。
なぜか?
見ればわかる。
デジタルのガンレフでF6サイズのフルサイズがあるか? と。ない。
どうしても基盤のスペースがいるので、分厚くなる。
Dfを見てみてよ。
太くてダサい(あれをクラシカルでかっこいいというセンスは破綻している)。さらに、本体はフイルム時代並に小さくなったが、フルサイズのミラーレスを見ろ。レンズを。クソデカで、中判レンズかと思ってしまう。
オリンパスは当初から、フイルム時代と同等サイズをデジタルで実現するには(重要なのはボディだけではなく、レンズ込で、ということ)、フォーサーズの画像素子しかないと考えていたのだ。
フルサイズミラーレスの発売ラッシュで、いみじくも証明されてしまった。
もし、デジタルで35mmフイルム並の大きさを実現するには、Mマウントレンズのように周辺減光はするわ、乱反射が酷いわのレンズを搭載するしかない。
しかし、これはトイレンズですらも20万円で売れそうなライカ以外にはできない芸当だ。通常のマウントでは低性能扱いだろう。
ここにきて、カメラは初めて法則に反した。巨大化しているのだ(繰り返すがボディだけで比較しても意味ない)。