パナソニックは長らくライカと協業してきた。そのせいか初期のLUMIXは硬派な路線を目指していたように思える。
たとえば、極初期に発表されたコンデジDMC-LC1(2004年)である。
DMC-LC1
見てわかるように、コンデジを否定するような大型のライカレンズ。レンジファインダー形式のEVF。マニュアル操作体系と、富士フイルムのデジカメ路線を先取りしたような出来である。
さて、LC1の前のモデルがDMC-LC5(2001年)であるが、操作体系・スタイルともに大きく変わってしまっている。
DMC-LC5
もっとも、この極初期の時点で、「スタイルが定まらない不安定さ」がすでに出ている。
現在もG9はGH5系列で、G8の後継機はG99というような混乱が見られる。
パナのデジカメはコンデジにせよ一眼レフにせよ、ミラーレスにせよ、スタイルがなかなか決まらず、後継機で全然別物になるというのが繰り返されてきたが、すでに最初期の段階でそうなっている。
これが失敗その1だろう。
続いて、2006年にLC1をレンズ交換式にしたようなDMC-L1が登場する。
このインタビューを読む限り、「女流一眼」なんてアホなことを言い始めそうな雰囲気はない。
「オリンパスとはミラーボックスを共同開発しましたし、センサーも同じものを使います。それ以外のところも一緒にしてしまうと、独自に製品を出す意味がありません。ですから、ビーナスエンジンIIIのが紡ぎ出す絵は、オリンパスのものとは全く違うものになるでしょう。ユーザーのニーズは幅広いのですから、同じものを出していては面白くないですよ。ですから、開発時にどのように作っていくかは全く相談していません」
ただし、このインタビューに失敗その2がある。
インタビューを読む限り、パナソニックは一眼レフの技術がなかった(ライカにもない)ため、オリンパスの協力を得る目的でフォーサーズに協賛をしたようなのだ。
「開発時にどのように作っていくかは全く相談していません」というこれである。
このせいで、最初のレンズから絞りリングをつけ、ズーム方向は逆になり、ボディではなくレンズ側OISとなった。折角のフォーサーズの互換性が失われてしまったのだ!
きちんと規格を策定しなかったオリンパスとコダックも悪いが、オリンパスのミラーボックス(レンジファインダー式がつくれるからこそE-300を保有していたオリンパスに協業を持ちかけたに違いない)が欲しかっただけ、というのがわかる。
もしNikonやキヤノンがポロミラーデジカメをつくっていればそっちへ行ったに違いない。
オリンパス側としては自分の方式に合わせて欲しかっただろう。
折角のオープン規格だったのだから。
しかし、頼みのコダックはライブビュー可能なCCDが作れず、パナのLiveMOSを使うしかなかった。オリンパス側もパナの勝手を許すしかなかったのだ。コダックがオリンパスと仕様を合わせたボディでも出していれば話は違ったのかもしれないが。
失敗その2はフォーサーズの理念を破壊したことだ。
さらに、そもそもフォーサーズに興味がなかったと思われる。フルサイズ参入(2018年)も実は前からしたかったのだろうな、と思える。
ちなみにこのL1には、「フィルムモード」というモードがある。富士のフイルムシミュレーションと酷似した名称ではないだろうか??
とはいえ、これはヒットしなかった。原理的にアートフィルターと何も変わらないのだが、フイルムの富士と電気屋のパナでは訴求力が違った。
なにせ、パナソニックはL1のレンズキットを25万で値付けしたのだが、同等の性能のE-330のレンズキットが10万少しで買えたのに売れるわけがなかった。
さらに失敗3だが、パナは肝心なところで他社依存だったことだ。
レンズブランドではほぼ100%自社生産ながらライカブランドをつけ、マウント規格でも、FTとMFTではオリンパス、フルサイズではライカLと自社でできていない。
これではブランディングで2流としか思われない。
LUMIXはソニーのAマウントのように途中で自社ブランド切替をすべきだったが、できないまま20年以上経過した。
富士のミラーレスが受けているのだから、DMC-L1のスタイルを貫けばよかったのに、後継機のDMC-L10(2007年)は全く別ものになってしまった。ここでもスタイルが安定しないのだ。
DMC-L10
さらに拍車をかけて、MFT移行後は「女流一眼」が始まる。
その4はマーケティングの不安定さだ。L1は明らかにカメオタ、それもクラシックカメラ好きを狙っていたのに、L10では普通のカメラになり、MFT移行で女性向けを言い出す。これも不発に終わると動画カメラで売り始めた。
また、コンデジと一眼でブランドが一緒というのもよくなかった。これもマーケの失敗だ。コンデジと一眼でブランド名が同じなのはパナソニックだけなのだ。
このせいで、LUMIXは安いイメージがついたし、スタイルが不安定なので、LUMIXと言えば、というイメージも形成されなかった。
ライカやオリンパスという圧倒的にカメラ界において格上の相手といつまでも協業したのも、二流のイメージをますます定着させた。
富士フイルムが2012年から展開しているXシリーズの成功や、先のデジカメウォッチの記事を見る限り、L1の路線を続けるべきだっただろう。そうであったなら、いまのフジの位置にLUMIXがあったろう。
また、ライカに対する異様な羨望とオリンパスに対する視線の温度差もひどい。
確かにオリンパスはOM707で失敗して以降、キヤノン・ニコン・ミノルタの三強からかなり距離が開いていた。1.5流であった。
しかし、カメラ界の老舗には違いない。もっとオリンパス側の意見を聞くべきだったと思う。
失敗その5はトップメーカーに対する執着・嫉妬心である。
パナソニックのカメラはおおよそライカかキヤノンのカメラのパチモンみたいなものが多い。一流メーカーを目指すのは結構だが、それでは二流から抜け出せない。
またソニーとの比較だが、ソニーがAを切ったのはミノルタの亡霊を処分するためだったろう。ソニーが一流のカメラメーカーになるためには、ミノルタAは邪魔であった。
現在のEは名前こそαだが、ミノルタのDNAはどこにもない。
さらにスタイルの話をすると、ソニーはα一桁、α四桁、RX三桁、RX二桁とシリーズでスタイルをほとんど変えず、素人目には判別が難しい。
しかし、だからこそ、「ソニーのカメラはこんな形」を消費者に印象付けた。
まとめると。
正直な話、これで成功するのは無理である。
私がG9を持っているが、性能で言えばパナのカメラは悪くないどころか素晴らしい。問題は性能ではないのだ。
たとえば、世界で最初にまともに売れたデジカメと言われるシャープQV-10(1995年)であるが、当時デジカメが売れないのは「画素数が40万だから」というのが主流の論調だった。
しかし、QV-10は20万画素なのにバカ売れした。
ではなぜ売れたのか。
10万円以下で背面液晶があったから、である。
シャープの担当者は背面液晶の重要性に気づいていた。これはファインダーで撮影するという常識に捉われた人間にはでてこない。
おそらく開発担当はカメオタではなかった、と思われる。
パナのころころ変わるスタイルや、パチものみたいなボディが出たと思えばGMのような斬新なものもある様子から、本当はカメラメーカーに行きたかった開発者と、電気屋かたぎの開発者がせめぎあっている様子が見える。